台湾

中華航空機炎上事故・・・各紙の報道

 昨日、那覇空港で中華航空機が炎上するという事故が起こりました。

 幸い、乗客、乗員は全員避難した後で、難を免れましたが、朝から爆発炎上する台湾の航空機の映像がニュースで流れたのはショックでした。

 その後、事故の原因究明がなされているようですが、こうした事故のニュースひとつにも、各紙の主義と個性が反映して不愉快というか、興味深いなと感じました。

 以下、宮崎正弘氏のコメントです。

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 ちなみに毎日新聞の社説は『旅客機炎上 小さな事故の芽も見逃すな』で、表題には中華がない。日経新聞も『間一髪の航空機炎上 空の安全再点検を』とあるだけ。台湾の航空機を「中華」とだけは呼びたくない、表題につけたくない心理が作用しているのでしょうか。
 一方、読売新聞は『中華航空機炎上 間一髪、大きな惨事は免れた』。産経は『中華航空機炎上 再発防止へ原因究明急げ』、おなじく東京新聞も『中華航空機炎上 幸運で済ませられない』。
 ところが、親中派の代表格である朝日新聞だけは「台湾機炎上―大惨事へ間一髪だった」となっていて、「台湾機」と明示して、中国でないことを奇妙に印象付けようてとしている。
 マインドコントロールはいまだ大新聞にも及んでいます。

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 見出しひとつでこの騒ぎですから、普段の報道姿勢、ニュースの選択が、いかに偏ったものかを自ら証明していますね。

 何が怖いのでしょうか?

 何の利益があるのでしょうか?

 李登輝氏の来日の時には、取材に来たA紙記者達までが、李登輝氏の演説に拍手喝采していたというのに。

 こうやって、大事なものを日本は失っていくのではないでしょうか。

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明日の「いつみても波瀾万丈」に金美齢さんが出演

 明日の7月1日(日)、台湾の元総理府国策顧問の金美齢さんが、日本TV「いつみても波瀾万丈」( 朝9時55分~10時55分放送)に出演します。金美齢さんならではの戦後台湾の軌跡や台湾独立運動についての紹介がされると思います。興味のある方は是非ご覧ください。(以下、メルマガ「日台共栄」から転載します)

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 金美齢さんには、東京理科大名誉教授だったご主人の周英明先生(昨年11月9日逝去)との共著『日本よ、台湾よ-国を愛し、人を愛すること』(扶桑社)があり、おおよその半生は語られている。ただ、金さんによると「よくこんなフィルムを探してきたわね」という貴重な映像もあるそうだ。台湾独立運動についても詳しく話したという。

 日曜日の朝のテレビといえば、本誌読者の中ではテレビ朝日の「サンデープロジェクト」をご覧になっている方も多いと思われる。恐らく今度の「サンプロ」は、他でもさんざん報道している参議院選挙か、牛ミンチの偽装問題、あるいは26日に米下院外交委員会で従軍慰安婦決議案が可決したことを受けての番組内容となるだろうから、ぜひ金美齢さんが出演する日テレの「いつみても波瀾万丈」をご覧いただき、台湾への理解を深めたい。

 なお、最近、金美齢さんは『日本は世界で一番夢も希望もある国です!』(PHP研究所、997円)を出版された。

 昨年7月23日、本会主催により千葉市で開催の「日本に期待すること」と題して講演していただいた内容と似ているが、「日本は、世界各国の食が結集する豊かな社会で、あらゆる情報が安い値段で手に入る」「多くの日本人は生き方の選択肢が無碍に存在し、努力と行動で必ず頭角を現せる環境にある」と日本および日本人を叱咤激励している。

 また、昨年12月に出版した『日本ほど格差のない国はありません!』(ワック、980円)も好調のようだ。こちらもどうぞ。

 下記に日本テレビ「いつみても波瀾万丈」の公式ホームページに掲載されている番組内容をご紹介したい。                         (編集部)

■番組名:いつみても波瀾万丈
■放送日:7月1日(日)朝9時55分~10時55分
■出 演:金美齢(前総統府国策顧問、JET日本語学校理事長)
■日本テレビ「いつみても波瀾万丈」公式ホームページ
 http://www.ntv.co.jp/haran/index.html

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 ゲストは、討論番組などですっかりお馴染みの、金美齢。

 台湾台北に誕生する。幼少時代からかなり気の強い女の子であった。

 勉強するのが大嫌いで、日本の敗戦で台湾の生活や教育面が変化し、大陸からやってきた教師が増えて日本語禁止となるなど、そうした情勢の変化がますます勉強嫌いにさせたのだった。

 大学進学する気もまったくなしで、夜遊びばかりしていた『台北の不良少女』だったという。

 何の苦労も知らないお嬢様育ちといった顔立ちだが、実は想像を絶する激動の人生を送ってきた。その知られざる半生はどういったものだったのでしょうか……。

◇第二次世界大戦後の台湾
◇中学・高校は台湾隋一の進学校に
◇不良少女時代
◇早稲田大学の留学生に
◇台湾独立運動に参加
◇最愛の父の死
◇スーパーウーマン宣言
◇単身のイギリス留学「日本語学校設立」
◇31年振りの台湾復帰
◇テレビ出演のきっかけは?
◇最愛の夫の死
◇現在の活動について

 『金美齢とは何者?』と思っていた方も、スーパーウーマンの半生に驚かれることでしょう!

 台湾・中国・日本の関係と台湾独立運動から日本の教育問題まで熱く語られます。

 どうぞお楽しみに!
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 【番組スタッフのそんなこととは知らん万丈】

 今年も早いもので、もう7月ですが皆様はいかがお過ごしですか?

 ジャックは、暑さにやられ早くも夏バテ寸前です。

 さて今回のゲストは、台湾出身の金美齢さんです。打合せなどで金さんのご自宅に何回かお邪魔したのでが、ビックリするくらい眺めがイイ!! 新宿御苑を挟んで見える新宿の町並み。さらに、富士山までもが見えるとてもすばらしい御自宅。

 いずれは、こんな家に住みたいと、夢が膨らむジャックでした……。

 さて金さんと言えば辛口コメンテーターで、討論番組などによく出演されていますが、実際にお会いするまでは、ジャックも怒られるのではないかとドキドキしながらお会いしたのですが、テレビで見る金さんとは違い、とても話しやすくてジャックもビックリしました。

 今回の金美齢編では、金さんの半生のみならず台湾の歴史までもが分かる内容になっているので、是非ご覧下さい。
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 来週のゲストは、金美齢さんです。

 実は金さん、台湾出身の方で、若い頃から台湾独立運動に参加されます。

 そんな芯の強い女性なだけに、金さんはご自分で自らのことを「私ツッパリなのよ。私ツッパリなのよ。」と、打合せでも収録でもおっしゃっていました。

 そんな“ツッパリ金さん”にビビりつつお話を聞いていると、“台湾独立運動への情熱”や“日本への愛情”などを、熱く語ってくれます。

 そんな所に、どこかanego的な部分を感じてしまい、金さんに魅かれてしまったAD・Yでした。

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李登輝前総統、帰国前の記者会見

 李登輝前総統の来日は、氏ご自身が語られたように、「大成功」でした。最終日、最後の最後に中国人の暴漢によって「ケチ」がつきましたが、それはまた、日本全国に中国人の品格のなさを知らしめ、また、台湾と中国は違う国であること、台湾は中国との統一を望んでいないことなども、これまでそうした事情をよく知らなかった人達にまで周知する結果ともなりました。

 李登輝さんは訪問した各地で記者会見を行い、日本人に対し叱咤激励をしてくれたのですが、その記者会見でこんなエピソードがあったそうです。

 「会見が終わると、日本人記者がよく拍手を送ったらしい。まるで講義終了後の学生のようにだ。また「靖国参拝ができてよかった」とささやいた朝日の記者もいたのだとか。」(ブログ「台湾は日本の生命線」より)

 「朝日」までと、何やら嘘のような本当の話ですが、実際に講演を聞かせたもらった私には、李さんのお話には、政治的立場云々は別として、我々日本人を引き込む人間としての魅力と、勇気を与えてくれる「力」があると感じます。

 さて、以下は李登輝前総統帰国の日に行われた外国人特派員協会で行われた記者会見時の質疑応答の要旨です。産経新聞で一部紹介されていましたが、更に詳細を転載させていただきました。

*今回の訪日で、どのような点に最も影響力を発揮したと思うか。もともと国民党である李さんは、次回の選挙で誰を応援しているか。(シンガポール記者)

私の元々の職業は農業経済学者、経済学者だが、総統をやっていたので政治家と思われてきたが、今度の日本訪問はそういう色彩を出来るだけ出したくない。
日本で見たいものは何か、勉強したいものは何か、日本文化とは何か、日本文化の持つ本当の意味を実地に見なければならないと思った。
一つの国が発展するには、物質的な面の発展だけではなく、必ず文化が基礎となり、それが人民の生活を基礎的な考え方・哲学となり日本の国の形を作っていくもの。
私は国民党の指導者の12年間で台湾の民主化を行い、それを一生の誇りと思っているが、国民党から見れば李登輝は反逆者なので、潔く国民党を離れた。
今はまったく自由な形で、台湾の政治や成り行きを見ている。だから、誰が総統に当選する、どういうことが起きるということについて私は関心をあまり持ちたくはない。それは人民が決めるもので私が決めるものではない。これは非常に大切なことだ。

*台湾政治の今後と靖国神社について(イタリア記者)

私は民主主義社会、民主政治を12年間、一滴の血も流さずにやって来た。その目的は人民の生活に傷をつけたくないということ、人民の豊かな生活だ。そのための私の基本的な考え方は市民社会だ。それは単に教養、或いは政治制度自体が変わっただけでは、なかなか成功することは難しい。
台湾における現在の政治体制の問題において、私は基本的に人々の高い教養と教育が大切であり、それによって今後の民主政治がうまくいくと思っている。私の基本的な考え方は、個人的に人間としてどうあるべきか、国に対してどうあるべきかというようなものから出発して考えなくてはならない。

一昨日、私は靖国神社を参拝した。新聞では政治的問題として取り上げたり、歴史問題として政府を糾弾するなど色々あるが、私はそれと無関係だ。
私は、一個の人間として、家の兄への長い間の思いと、冥福を祈るというのが唯一の目的だ。そこから人は出発しなくてはならない。
そういうところで、私は一昨日、靖国神社を訪問したが、日本における靖国神社に対する考え方は今後変わっていくと思うが、私は非常に感謝している。兄は亡くなって60数年、家には位牌も無ければ墓も何もない。それを靖国神社が安置してくれ、魂を鎮めてくれていることに対し、私は非常に感謝している。

*靖国神社参拝に対する反応について(フランス人記者)

一体、靖国神社問題とは何処から出てきたか。こうした事情をもう少し考えなくてはならない。靖国神社問題というのは、中国大陸や韓国で自国内の問題を処理が出来ないが故に作り上げられた事実だ。
それに対して日本の政治はあまりにも弱かった。こうした事が外国の政府によって、批判される理由はない。自分の国のために戦った若い命をお祀りする、それは当たり前のことだ。
私は台湾で国民党の総統を12年間やった。毎年、春と秋に忠烈祠に行きそうした人達の魂が鎮まるようお参りした。この人たちは正直言うと台湾とは無関係の人たちばかりだ。台湾のために血を流した人ではない。ただ、我々は人間として、広く人類愛に基づいた考え方で慰霊をするということは大切なことだと思う。

私はかつてパリで“台湾フランス文化賞”というのを設けた。フランスが200年間も努力してきた民主主義とは、フランス革命が元になっている。
それなのに、私がフランスへ行こうとしたら、フランスの首相が中国へ行くから李登輝が来ては大変だ、困る、と否定した。私がここでこのようなことを述べるのは非常に僭越だが、既成的な概念で現在の新しい社会が進んでいく方向を妨げてはならない。これは非常に大事なことだと思っている。

*李氏の中国に対するチャレンジについて

私がチャイナにチャレンジをしていると言われたが、一つもチャレンジなどしていない。私が総統時代の1991年、国民党と共産党が内戦を続けていたのを、このような状態では台湾と大陸で良い関係が作られるはずがないと、それで私は内戦停止を行った。この内戦停止と同時に北京政府に対し、“北京政府は有効的に中国大陸を治めている。台湾は台湾できちんとやりますから、お互いに良く付き合っていきましょう”。と、そしてその為に色々な組織が作られた。大陸委員会、海峡委員会で辜振甫さんを利用して汪道涵さんとのお付き合いと、こうした形で問題をお互いに話し合って解決していけば、”チャレンジ”というものはない。
私はそうした状態を、“チャレンジ”ではないと思う。国と国との間における静かな安定した状態を作り上げていくのは、国を守る最も重要な要件であると思っている。

私から見ると、日本の方々は、あまり中国を知らない。私は22歳まで日本国籍を持っていた人間だが、60数年間の中国生活というものが、私に何を教えたか。中国人に対する考えた方というのは、中国人になって中国人と話をしなくてはならないということだ。
日本がこれからアジアの自主的な、ある力をもった国家となるためには、日本的な日本人の立場で、中国人と話をしても、話は合わない。なかなか難しいことだ。
安部首相の肩を持っているように言われるかも知れないが、私は彼が真っ先に中国大陸を訪れ胡錦濤主席と色々な話をし、お互いに信頼関係を戦略的に作りましょうといった(ことを評価する)。碁をやる時には布石をやらなくてはいけないが、この布石は上等な布石だったと思っている。日本の中には、これを批判している人がいるが、布石が無ければ次の碁は打てない。次の定石ををどこに置くか、布石が無ければ定石はおけない。こういう考え方のもとに、国と国との間の関係を作り上げていくというのは、非常に正しいやり方だと思っている。

中国人が一言言っただけで兢々として、例えば靖国神社へ行ったら新聞が書き上げるが、そんなことは信じない方がよい。
私は兄の冥福を祈りに靖国神社へ行ったが、私の見ている限り、中国の上の人は何も言い切れない。下っ端の役人がくだらないことを言って騒がしているだけだ。そういうことを知らなければ、国と国との関係をうまくもって行くことは出来ない。新聞がそういう下っ端の人たちの言うことを聞いて大きく書き上げる、それ自体が私は非常に間違いだと思っている。

*台湾の法的地位について

これは非常に重要なことだと思っている。1952年、サンフランシスコ条約が締結された時、日本は台湾をどこに返すか、一言も書いていない。それだけは頭に入れなくてはならない。
戦後、マッカーサー司令部の命令により、蒋介石政権に「台湾をしばらく統治しなさい」となったが、台湾の主権における考え方は今でも不明瞭だ。この不明瞭さによって、世界のはっきりしない戦略の中に台湾が置かれている。中国で考えたら、台湾は中国のものだと言い、アメリカでも中国のものだと考えているかも知れない。
ところが台湾に存在する2300万人の人々、それこそが台湾の主権を本当に握っているはずだと思う。だから私は「台湾は既に独立した一つの国である。主権もあり自由もある、独立した国である」と言っている。我々は今さら独立をやる必要があるだろうか。
中国大陸から独立するといった場合、中国大陸では、国家に反逆する法令が作られたが、私の見方では、中国大陸の上層部の人々は、恐らくこの法令で頭が痛いのではないかと思う。だから、(台湾が独立するといったら)何かしら言わなければならない。

台湾は独立していると、かつてドイツの放送局に言ったことがある。台湾の地位は非常に複雑な状態に置かれている。判決のない特殊な状態にある。その状態の中にあって、台湾の人々が「台湾は自分たちの国だ」という意見を持ってやっていかなければ、誰も助けてくれない。
中国が台湾海峡において有している問題は、台湾とアメリカの2つだけだ。この問題がいつどんな形で解決するかわからないが、台湾は独立した、自由な、民衆的な国家だということを強く主張することが当たり前である。
ヨーロッパでも色々な国が出たり入ったり、取ったり取られたりしている。一番重要なのは、その国の住民がアイデンティティを持ち、さっき申し上げたような「Who am I」 ではなく、「Who are we」という考え方に台湾の重点がおかれるべきだ。
だから中国が台湾に色々といっても、私は少しもびくともしない、出来るだけ国民にも気を使う必要はない。なぜかということを話すと時間がかかるので言わないが(笑)。
台湾が新しい方向に、自由と民主という方向に歩いていかないと、中国のいわゆる「輪廻の芝居」の中に永久に取り囲まれてしまう。今は経済が伸びているが何年かの間にいつどうなるかわからない。これが中国の長い間における、発展・後退、発展・後退という皇帝の時代の変化の過程が中国の政治であった。
ああいう政治が繰り返されないためには、やはり民主化を進め、人民には自由を与えるという道を進めなければならない。ここには細かな困難な問題がいくつもあるだろう。ただ、そのような問題は、大きい将来を考えれば簡単に片付くものだと信じているので、あまりこれにとらわれて、新聞に大きく書く必要はない(一同笑い)。

*バチカンが中国との国交締結を模索していることについて

バチカンと中国大陸との関係というのは、これは宗教的ないわゆる個人の信仰の問題というよりは、政治的な意図が全部含まれている。あまりにも政治的な意図が強いもので、個人的な自由、信仰の自由というものが唱えられていない。
divorce(台湾とバチカンとの国交断絶)の問題だが、中国とバチカンでは違う考え方を持っているかもしれない。ところが基本的な問題は、中国では、天主教の神父というものは北京政府に指定された人でなくてはならないのだ。信仰が政府によって規制される、こういうことは世界的に見てちょっとおかしな話だ。神父あるいは牧師が政府によって支配される、これではちょっと話が違う。人間の信仰は自由だ。
バチカンと台湾の問題については、台湾と天主教との間、あるいはむしろマイナーの問題として台湾政府とバチカンの間で適当な処理が行われるべきと思うが、根本的な問題は「宗教の持つ原子的な風景は何だったのか」ということを考えなくてはならないと思う。

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李登輝前総統、「訪日は非常に成功」

20070609taoyuan1_1  【台北=山田周平】訪日していた台湾の李登輝前総統は9日夜、台湾に帰着した。李氏は空港で記者会見し「訪日は非常に成功した。日本と台湾の関係は将来、もっと密接になる」と語った。検討している今月20日前後の再訪日については、今後の体調をみて実行するかどうかを判断するとした。(日経新聞6月10日 23:16)(写真は「李登輝友の会」のHPより)

 最後の最後に残念なことがありましたが、無事に帰国されて良かったです。是非、またいらしてください!

 少し遅くなった感がありますが、メディアではどこもあまり詳しく紹介されていない李登輝さんの記者会見でのメッセージを紹介したいと思い、書き込みます。折角、「日本に頑張れと言いたい」という思いも込めての李登輝さんの来日ですので、やはり欠かせません。

 6月9日 外国人特派員協会における記者会見(要旨)

 ・秋田国際教養大学にて、日本の若い人に問う

 特別講義で「日本の教育と台湾 私の歩んできた道」をお話しすることが出来た。若い大学生たちに私は、はっきりと日本的教育で得られた私の経験を伝えた。それは、専門的な職業教育以外に、教養として「人間のあるべき姿」そして「人間とは何ぞや」または「私は誰だ」という問題に答えが得られたこと、そしてその問いに対して「私は私でない私」という人生の結論が得られたということだ。
 「Who am I?」という問に「I am not I that I am」という答えを得た。こういう人生の結論が得られたことによって私は自分なりの人生の価値観への理解と、種々の問題に直面したときにも自我のことを排除して客観的な立場で正確な解決策を考えることが出来た。

 ・靖国神社参拝

 6月7日早朝、靖国神社を参拝した。日中韓で歴史問題、政治問題として、大きく取り上げているが、私は参拝に行く前に、日本の新聞記者にこう言った。「私はこれから、第2次世界大戦で亡くなった兄の冥福を祈ってまいります。60年間会っておりません。家には位牌も無ければ、兄がどうしているのかわかりません。」
 非常に親しかった兄貴が62年前に亡くなって以来、私は会うような機会がなかった。私が東京に来る際の困難があったため、靖国神社にも行けない状態だった。私はこの度一族を引き連れて、家内と孫娘を連れて、実兄の慰霊に冥福をささげることが出来たことは私の一生に忘れがたいことだと思っている。

 同時に、その日の夜、歓迎実行委員会の主催で、「2007年およびその後の世界情勢」について学術的な講演をした。私はその講演を政治的な講演とは思っていない。いわゆる世界の情勢に対する客観的な、私の知っている限りのいろいろなことについて、客観的な立場から講演をした。

 ・東アジア・両岸海峡、台湾海峡問題

 世界の政治は3つの主軸にしばらく集中するであろう。第1は、2007年、ロシアと中国の世界政治に対する重要性は、米国がイスラム世界で巻き起こした衝突、世界の反テロ戦争に劣らない。
 第2、米国とイランは、イラクにおいて対立を起こしているが、双方共に一方的勝利を得ることなく、政治的な解決に向かわしめる可能性を有している。
 第3は、世界のリーダー国である米国の政治的機構の麻痺、外交ではイラク問題、内政ではブッシュ政権の弱体化が起こっている。この機会に乗じて、ベネズエラからソマリア、アジアに至る中で、米国に挑発的な国がより侵略的な行動に出ると思われる。
 東アジアはまさに政治の一年になるだろう。2007年は日本・台湾・韓国・フィリピン・オーストラリアともに選挙が行われる。中国・北朝鮮・ベトナムの3つの共産党国家もこの年に党内の上層部人事の再調整が行われる。このため今年は、東アジア各国の内部権力が再分配され、それらの国々は外交ではなく、内務に力を注ぐ年になるだろう。
 総じて、2007年は、東アジアにおける国際政治は、比較的安定した年となる。その安定した範囲に台湾海峡も含まれているはず。

 米国は一時的にアジアにおける指導権を失う。一変するには、米国が新たな政治周期に入る間まで、次の大統領選挙が終わって新政権が出来るまで待たなければならない。
 アジアは第二次世界大戦前の状態に戻ったようだ。すなわち、東アジアが地域内に限定された権力抗争が繰り広げられ、その権力抗争の主軸となるのが日本と中国である。 
 中国が2007年、2008年に東アジアの戦略情勢を指導することが出来たならば、2008年5月に就任する台湾の新しい総統が、中国から一段と厳しい挑戦を受けるであろう。

 ・旅の感想

 私は一昨年、60年ぶりに家族4人で日本を一週間訪問し、観光する機会を得た。東京に出て来られないため、名古屋を中心に金沢、石川、京都でその旅行を終えた。今回は念願の奥の細道を辿る旅が出来、同時に東京に来られ、多種多様な形で展開することが出来た。
 前回と今回で私が強く感じたことは、日本は戦後60年に大変な経済発展を遂げているということだ。私は昭和21年まで、有楽町近く、新橋の焼け野原の中に建った一軒の家に住んでいたが、その時の有楽町とは天地の差だ。焦土の中から、立ち上がり遂に世界第2位の経済大国を作り上げた。
 政治も大きく変わり、民主的な平和国家として世界各国の尊敬を得ることが出来、その間における国民の努力と、指導者の正確な指導に、敬意を表したい。
 日本文化のすぐれた伝統は進歩した社会の中で失われていない。日本人は敗戦の結果、耐え忍ぶしか道がなかった。忍耐する以外に何も出来ないと、経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされた。そうした中にあっても、日本人は伝統や文化を失わずに来た。

 ・日本人の素晴らしさが残っている

 日本での旅行で強く記憶に残っているのは、さまざまな産業におけるサービスの素晴らしさだ。そこには戦前の日本人が持っていた真面目さ、細やかさがはっきりと感じられた。今の日本の若者はだめだという声も聞くが、私は決してそうは思わない。日本人は戦前の日本人と同様、日本人の美徳をきちんと保持している。社会が全部秩序よく運営され、人民の生活が秩序よく守られているという事だ。

 確かに外見的には緩んだ部分もあるでだろう。それはかつての社会的な束縛から解放されただけで、日本人の多くは今も社会の規則にしたがって行動している。
 私が東京から仙台に行くまで、あるいは日光に行くまで、交通規則をよく観察してみて、日本人は本当に社会の規則にしたがって、みんな正しく行動している。このような状態は他の国では見つからない。社会的な秩序がきちんと保たれ、公共の場所では最高のサービスを提供している。公共の場所では出来るだけ清潔な状態を維持している。長い高速道路を走ってみても、チリひとつない。ここまで出来る国は国際的に見て、恐らく日本だけではないだろうか。

 さらに、かつて日本の若い人々に会ったとき、「自分さえよければいい、国なんか必要ない」という考え方が強かったようだったが、最近は、日本人の国家や社会に対する態度が大きく変わり始めている。戦後60年間の忍耐の時期を経て、経済発展の追及だけでなく、アジアの一員としてその自覚を持つに至った。武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始めた。日本文化の持ついわゆる社会精神的な面がいま非常に高く評価され始めている。
 日本の文化は歴史以来、大陸から西洋から、滔々と流れ込んできた変化の大波の中で、驚異的な進歩を遂げ続けてきた。結局一度として、それらの本流に飲み込まれること無く、日本独自の伝統を立派に築き上げて来た。日本人には、古来そのような稀なる力と精神が備わってきている。外来の文化を巧みに取り入れながら、自分にとってより便利に、受け入れやすいものに作り変えている。このような新しい文化の創造、作り方というのは、一国の成長、発展という未来への道について非常に大切なものと私は思っている。そしてこうした天賦の才、天から授けられた日本人の持つこの才能に恵まれた日本人がそう簡単に日本的精神といった貴重な遺産や伝統を捨て去ることは無いと私は固く信じている。
 日本文化とは何か、それは高い精神と美を尊ぶ、いわゆる美学的な考え方を生活の中に織り込む、心の混合体こそが日本人の生活であり、日本文化そのものであるということである。
 次に日本を訪問する機会では、日本は歴史的にもっと創造的な、生命力を持った国に生まれ変わっているものと私は信じる。

(記者との質疑応答は次回に)

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李登輝前総統、中国人暴漢に襲撃される

 全くもって怒りを覚えるニュースです。

 本日午後3時30分、成田空港出国ロビーにて、台湾に帰国しようとしていた李登輝前総統に対し、中国人暴漢がペットボトルを投げるつけるなどして襲撃しようとしました。この男(薛某?34歳)はその場ですぐに警察官たちに取り押さえられ、李登輝前総統ご一行は無事帰国されました。

 しかし、その中国人暴漢に中国語で抗議をした日本人男性に逆上し、跳び蹴りで怪我をさせたということです。

 「今回の日本の旅は非常に成功だった。来年以降に再び日本を訪れたい」と、本日記者会見をされた李氏ですが、最後にこのようなことが起き、日本人として誠に残念でなりません。また、中国の数々の妨害行為については絶対に許すことができません。

 その暴漢には、振り上げた拳を、自国の民衆を圧迫している者達に向けたらどうだと言いたい思いです。

 このような帰国となりましたが、李登輝ご夫妻の見送りには約150名もの支援者が集まり、再び日本を訪れていただけることを思い、日の丸、台湾の緑の旗を振り別れを偲びました。その中には空港に偶々来ていたアメリカ人教授も含まれていたということです。

 李登輝さん、是非、またいらしてください!!

 李登輝前総統は、台湾に戻られた後、本日19時30分に、台北桃園国際空港で、日本の旅について記者会見を行うとのことです。

 

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李登輝前総統講演、「2007年とその後の世界情勢」

070607_183101  昨日6月7日、ホテルオークラにて李登輝博士による講演会が行われました。テーマは「2007年とその後の世界情勢」、1400名以上の聴衆が駆けつけ、氏の講演に聞き入りました。

 講演には、国会議員、著名人の方達もたくさん訪れました。確認できただけでも、平沼赳夫氏、塩川正十郎氏、小田村四郎氏、中川昭一氏、西村眞悟氏、黄文雄氏、黄昭堂氏、許世楷氏、金美麗氏、櫻井よし子氏、加瀬英明氏、大宅映子氏、日下公人氏、ペマ・ギャルボ氏と、多くが来場され、また、日本全国から駆けつけた大勢の来場者の方々の姿がありました。

 講演の主旨は、大体以下のようです。

 世界情勢の基調は、米国がイラク戦争で泥沼に落ち入り、その隙間をぬって中国、ロシアが台頭してくる。米国は国際的な政治力を後退させ、2008年に選出される新大統領が、この停滞期を脱しようとするまで、米国の政治的影響力が抑えられた状態が続くだろう。ブッシュ政権の弱体化によって、ベネズエラからアジアにおいて、侵略的な行動を起こす国が出現する危険性がある。

 米国がイラクとの泥沼の戦いの中、中国とロシアが政治的パワーを拡大、東アジア各国は選挙の年を迎え、内政に焦点が移るだろう。
 ロシアは米国に余力がないことを見通し、資源をテコに旧ソ連圏の恢復を目論見、ウクライナ、ベラルーシに介入した。

 一方、 中国経済は経済危機直前の様相を呈し、GDPの40-60%もの不良債権は、96年、台湾の金融危機、97年のアジア通貨危機を上回る規模の危険性を含み、回避できないだろう。中国の経済金融政策は失敗している。

 韓国は12月、新大統領が誕生するが、ノムヒョン大統領はそれまでに北朝鮮と更に緊密な関係を推し進め、韓国軍との修復も図るだろう。野党ハンナラ党が勝利すれば、米国との関係修復は可能だが、ノムヒョンは朝鮮半島の歴史に名を残すため、今年下半期に南北会談を実現させるだろう。

 台湾は年末に国会議員選挙、2008年3月には総統選を迎えるが、中国は国民党に対してのみ影響力を浸透しようとするのではなく、民進党にも浸透させようとするだろう。

 ベトナムはWTO加盟のため人事刷新を行い、上層部権力構造を変革するだろう。

 中国の金融危機は救いようがない。発表される経済データではなく、社会・政治の混乱がデータの裏にある真相を示している。現実には中国から金が海外へ流出している。反面、香港などから投機用の金が流入しているが、外資は減少傾向である。宇宙開発、オリンピック、日本の歴史教科書への介入等は、国内の都市と農村の格差是正、農民暴動に対応できないことからの行動であり、こうした危機回避努力が続くだろう。

 そして、今後米中間の太平洋制海権の争奪戦が激化するだろう。台湾の危機を避ける鍵は米国と日本である。中国は台湾の選挙において国民党の勝利を望んでいるが、民進党にも影響力を広げている。米国は一時的に東アジアにおいて主導権を失うが、新しい政治周期を迎える2009年から力の恢復の必要性に迫られる。
日本は靖国問題等で北京に白旗を掲げるのではなく、中国と対等な力を保持する努力をしなければならない。

 それから、質疑応答において、櫻井よし子氏が中国のこれまでの日本に対する矛盾した行動発言の数々(靖国問題一つにしても、「A級戦犯」合祀の当時は反対もせず、防衛費をGNPの2%まで上げろと言っていたにも関わらず、今日の言動があることなど)を挙げ、中国の目指すものは一体どこにあるのか、日本が中国へどのように対応すべきかを質問しました。

 李登輝前総統は、これについて、中国は「輪廻」のように、発展、衰退という循環を繰り返している社会であり、その循環から抜け出すことを日本が教えてあげることが平和への道であり、台湾は民主化を伝えることができる、と答えました。また、日本人は、日本人的価値観で中国を見ており、それでは真の中国はわからない、中国文化に60年浸った台湾人の声を参考にすべきだとも語られました。

 この後、前日のブログに書き込んだように、靖国参拝のエピソードが語られました。

 そして、講演会終了後、歓迎レセプションが盛大に行われたそうです。私は所用のため参加できませんでしたが、参加した方の報告では大いに盛り上がった様子です。

 李登輝氏に一目会いたくて地方から出てこられた方も大勢いらしたそうです。李登輝氏は日本で本当に人望、人気があるのだなあと改めて実感しました。

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李登輝前総統、靖国神社を参拝

Yasukuni  李登輝氏、靖国参拝 戦死の実兄しのぶ 

 来日中の台湾の李登輝前総統は7日午前、太平洋戦争で日本兵として戦死した実兄が祭られている東京・九段の靖国神社を参拝した。李氏は「兄の霊を守ってくれていることに、感謝の意を表したい」と説明、私人としての参拝を強調した。

 李氏は同日午前10時ごろ、曽文恵夫人らとともに靖国神社を訪れ、本殿に上がった。兄は台湾が日本統治下にあった1945年2月、マニラで戦死したとされ、李氏は5月30日の来日後「兄貴が60年前に祭られているのに全然会ったことがない」と語っていた。

 靖国参拝前、李氏は都内のホテルで「個人の立場で行きます。政治的、歴史的には何も考えないでください」と述べ、兄への思いを強調した。

 安倍首相は李氏が靖国参拝の意向を示していたことに対し「私人として来日した。当然、信仰の自由がある」と語っていた。 ( IZA!6月7日)

 本日、都内ホテルオークラにて、李登輝博士ご夫妻歓迎の記念講演会とレセプションが行われました。その際に李登輝氏が語っておられてお話ですが、台湾にはお兄様の位牌もお墓もないそうです。何故かというと、亡くなったお父様がお兄様は生きていると固く信じておられたので、お墓をつくらせなかったということです。

 李登輝前総統は、「靖国神社は、それを、兄の魂を、60年間もお祀りしていてくれた。何と有難いことか。私はやっと今回初めて兄の冥福を祈ることができました。」と、語っておられました。

 李登輝前総統のご実兄が靖国神社に祀られていることは以前から知っていましたが、そうしたご事情があるとは全く知りませんでした。この度の日本の旅は、かねてからの夢であった「奥の細道」を巡ることということでしたが、来日後真っ先に語っておられた「靖国神社参拝」には、こうした何十年もの思いやご事情があったのですね。

 日本人として、李登輝前総統が靖国神社を参拝して下さったことは、大変嬉しいことです。そして、そうした事情があったことにも、胸が熱くなりました。この、李氏の私人としての思いを、政治や歴史認識云々で騒ぎ立て、汚して欲しくないと思います。日本人なら、政治の立場が何であろうと、この思いを理解できると思います。

 それがわからない者は、国籍は日本人でも、もはや日本人ではないのではないでしょうか。

 (日を改めて、講演会については書き込みます)

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李登輝前総統、「日本と台湾は生命共同体」

 昨日の李登輝前総統の後藤新平賞受賞のニュースは、流石に各メディアで取り上げられたようでした。かの朝日も台北から同行(!)した記者が、受賞後の記者会見でも質問し、記事にした模様(何かひっかかる質問をしたみたいですが)。

 記者会見の模様は以下のとおりです。

 ・・・・式典後に開かれた記者会見で李氏は、「日本と台湾は生命共同体だ。台湾にいったん何かあればすぐ日本にも響く。台湾海峡問題も日本の大きな一つの問題だ」とした上で、「二国は外交関係がなく、単なる赤の他人みたいな形になっている。赤の他人ではいざというときに何もできない。こういう困難を抱えつつも(日本の)政治家は台湾と付き合っていくべきだ」と強調した(日台関係強化の問題に関する櫻井よしこ氏の質問を受け)。( 台湾研究フォーラム代表、永山英樹氏ブログより転載)

 更に、氏は最後に李氏自ら「最後に一言」と立ち上がり、「最後に申し上げたいことは、日本はリーダーシップの取れる人材を作りなさいということだ。既に現在、物質追及する世界は終わった。これからは創造的な力を持つリーダーを作るべきだ。まず何よりも一番大切なのはリーダーシップ、どうか日本人の皆さん頑張ってください」と述べると、期せずして報道陣の間から拍手。(李登輝友の会、李登輝氏来日特別ブログより転載)

 来日前より「日本人よ、頑張れ!と励ましたい」と抱負を述べておられた李登輝氏は、政治的活動は制限された中で、後藤新平賞受賞後の記者会見という形をとって、日本人へのメッセージを伝えてくれました。こんなにも日本を心配し、愛してくれている外国のかつての指導者がどこにいるのでしょうか?日本人として有難く、頭が下がる思いです。

 そんな李氏の思いに答えるべく、本日仙台に発った李登輝氏、曾文恵夫人に歓迎の意を表するため、在日台湾人の友人と共に、日本の李登輝氏のファンの人々は、新幹線の停車駅(東京、上野、大宮駅)に駆けつけたそうです。わずか1分の停車時間に、フォームで日の丸の小旗をふり、プラカードをかかげて「台湾万歳」「李登輝さん万歳」と精一杯の歓迎の表現をしたようでした(私は所用で行けませんでしたが)。李登輝氏は夫人と共に、車内から満面の笑みでお手を振って答えられたそうです。台湾のマスコミも同乗していたので、車内から飛び降りて歓迎の模様を撮影していたとのことです。

 きっと、李登輝氏の日本での歓迎振りは、台湾でも報道されるでしょうね!台湾の人達は改めて李氏の日本での人望と、日本人の台湾への思いを再確認してくれるのではと期待してしまいます。

 さて、次は7日の講演会をご紹介できると良いのですが・・・。

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李登輝前総統、後藤新平賞受賞

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 本日、6月1日午前、六本木の国際記念会館において、第一回後藤新平賞授賞式が行われました。その記念すべき第一回受賞者は、現在来日中の李登輝前総統です。

 折りよく、私が会場である会館を訪れた時、黒塗りの乗用車が滑り込み、中から李登輝前総統ご夫妻が降りてこられ、そのお姿を見えることができました。取り囲む報道陣とSPに、普段は閑静であろう会館がやにわに活気付きました。

 会場には世界各地から多数の報道陣が詰めかけ、授賞式が行われるホールの右側と後方はぐるりとカメラに取り囲まれ、参加者は応募多数で抽選になったものの、椅子120名に対し200名ほどが押し寄せ、ホールに入りきれず溢れ出す人が出るほどに盛況でした。

 また、授賞式には知名人も多数顔を見せ、台湾から同行した黄昭堂氏、台北駐日経済文化代表処代表の許世楷氏をはじめ、確認できただけでも、竹村健一氏、櫻井よし子氏、金美齢氏、中嶋峰雄氏、粕谷一希氏、岡崎久彦氏、大宅映子氏、日下公人氏、花田紀凱氏、宮崎正弘氏、塩川正十郎、住田良能氏(産経社長)、小田村四郎氏らと多くが訪れていました。

 第一回にふさわしい人物を選考する際に、満場一致で李登輝氏に決まったそうですが、その李登輝氏による受賞記念講演が「後藤新平と私」というテーマで行われました。

 「後藤新平は1857年生まれで、1929年に没し、私は1923年生まれ、時間的には交差点はなく長い隔たりがありますが、精神の空間で結ばれています。
 後藤は貧窮のどん底から立ち上がり、名古屋で医者となり、1882年岐阜で負傷した板垣退助を自ら進んで治療したという逸話が残されています。その後、復員傷兵の帰国に際しての検疫能力を高く評価され、1895年児玉源太郎の認めることとなり、医者から衛生局長に就任、また児玉の推挙によって台湾へ赴任しました。後藤新平は1898年3月から1906年9月までの8年7ヶ月を台湾民政長官として過ごし、台湾発展に寄与貢献することになりました。未開だった台湾の近代化のために彼が成し遂げた功績は大きいものです。

 当時の台湾は、匪賊が横行し治安悪く、ペスト、赤痢、チフス、マラリアが蔓延し、阿片を吸引する者も多く、不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開発で、およそ近代化には遠い状況でした。後藤はそんな台湾において、台湾近代化、台湾の開発のために、明治政府の全面的な支援の元にさまざまな改革を実行しました。」

 李登輝氏により、後藤新平の功績が紹介されました。
 第一に、人事刷新し、人材を確保したこと、(新渡戸稲造らも採用されました)第二に、匪賊対策において、単に匪賊を退治するのではなく労働を与え、彼らを生産、建設に役立てるような任務を教えたこと、第三に、「保甲制度」、つまり地方自治の確立。この制度は今でもまだ採用されているそうです。住民の自治を尊び、交通を整備し、戸籍制度の充実と整備をし、同時に自治の責任を持たせました。第四に、劣悪な衛生環境を改善し、マラリアなどの血清研究、毒蛇の一掃、同時に田舎にも医者を配置し公医制度を行ない、都市部では下水道の整備を急いだこと。第五は教育の普及。日本の植民地政策は、教育から開始されたのです。 第六に、開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し、日本内地の国会の承認を得て、土地改革を進め、縦貫鉄道を敷設、基隆港を整備したこと。第七は「三大専売法」を施行させたこと。阿片、樟脳、食塩、酒、煙草が専売となり税収が公債の返済に充てられました。第八に「台湾銀行」が創設され台湾銀行券を流通し、新たに「度量法」を統一し、それまで台南と台北で異なっていた重さや長さの図り方が統一したこと。第九は産業の奨励で、砂糖、樟脳、茶、米、阿里山森林の開発が進められ、開発を軌道に乗せました。第十は貿易の拡大です。外国資本が独占していた商船の運搬が民間にも広げられました。第十一に、後藤の「南進政策」です。アモイ、香港への投資を開始し、アモイには台湾銀行支店が設置され、アモイを台湾の「南進政策」の拠点としたことです。「もし、後藤が満州に派遣されずに台湾に残ったなら、後藤の「南進政策」はどのようになっていたでしょうか?ここにわれわれの研究課題が残されているように思われます。」李登輝前総統はこのように問いかけを投げられました。最後に、国民の生活習慣のなかで弁髪、纏足など悪習を禁止したこと、こうした功績を次々と述べられました。

 「その後における台湾開発はすべて後藤が敷いたレールの上を走り、台湾の発展はその延長の上にあると言えます。

 今年満84歳になる私は、台湾人として生まれた悲哀を持ちつつも、外国人の人には味わうことができない経験も持っております。『肯定的人生』を見出すことができたのも、22歳まで日本人だった私が受けた日本的教育のおかげでした。農業経済学者として農業農民農村問題に経験を持ち、これを基礎に経済発展に寄与することができたことを最高の喜びとしています。その後、台北市長、台湾省省長を経て、副総統、そして十二年間の総統時代には、軍事政権から一滴の血も流さないで台湾に民主化をもたらし、「静かな革命」として新しい台湾政府を樹立したことは一生の誇りであります。

 これらは後藤新平の台湾施政の基礎の上になりたっており、それにより今日の台湾の民主と繁栄が築かれてきました。世代と時間をこえて、後藤新平と私の間には精神的なつながりがあったと感じております。

 政治家には権力掌握を目的とする人間と、仕事を目的とする人間の二種類があります。権力に囚われない政治家は堕落しません。私はいつでも権力を放棄する人と自負してきました。そして後藤新平は仕事のために権力を持った人でした。

 後藤新平の持っていた信仰は何か、私にはわかりませんが、明治天皇に対する信仰、あるいは国家に対する信仰であったかもしれません。私は指導者の条件としての五項目の第一に、信仰をあげています。私はクリスチャンです。信仰とは、人格的感情のセンス、判断、感覚が大事です。後藤新平と私の根本的つながりはお互いに強い信仰を持っているということです。例え異なった信仰でもかまいません。後藤新平は、偉大な精神的導きの先生であると、私は信じています。」

 李登輝前総統による感動的は講演は、会場の盛大な拍手により締めくくられました。

 ご夫妻は、明日仙台に赴かれ、奥の細道を訪ねられるそうです。そして、7日にはまた都内で歓迎記念講演が行われますが、また参加することが出来たら、ブログ上でご紹介したいと思います。

 李登輝前総統は、一時体調不良で来日が延期されましたが、今回の講演は、力強い、はっきりとしたお声で、またお元気そうなご様子に安堵しました。良かったです!

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李登輝前総統、いよいよ来日!

12  この5月30日に、李登輝前総統がいよいよ来日されます!この日を待ちに待った人々によって、各地で歓迎会や講演会などが企画されています。李前総統は「日本は良い国だ。がんばれと伝えたい」と、記者会見で抱負を述べておられるそうです。

 先日の産経新聞の記事にもあったように、6月7日には都内で李前総統の講演会と歓迎レセプションが行われ、一般の人でも参加が可能です。

*日 時 6月7日(木) 午後5時~8時30分(開場4時)
      講演:5時~6時30分 歓迎レセプション:7時~8時30分
*会 場 ホテルオークラ東京 本館1階 「平安の間」
     東京都港区虎ノ門2-10-4 TEL.03-3582-0111
     【交通】地下鉄「虎ノ門駅」「神谷町駅」「溜池山王」「六本木一丁目駅」徒歩5分
*講 師 李登輝前総統
*演 題 2007年とその後の世界情勢
*参加費 12,000円(当日、受付で申し受け)
*主 催 李登輝博士ご夫妻歓迎実行委員会

 申し込み方法は下記のとおりです。

1.アジア・オープン・フォーラム:

 往復はがきで返信用はがきに住所・氏名を記入し、〒104-0045 中央区築地1の12の6 築地えとビル5階 サイマル・インターナショナル気付「アジア・オープン・フォーラム」事務局宛まで。30日の消印まで有効です。定員250人、入場無料。(講演会のみ無料。レセプションは有料)

2.李登輝友の会

 往復はがきに返信用住所・氏名を記入して申し込み。締切は6月1日(金)必着。定員500名(李登輝友の会会員・日台交流基金篤志者に限定)です。ただし、一般の方で講演会参加希望の方は入会されれば申し込み可能です。(正会員(年会費:8,000円)、賛助会員(年会費:12,000円)、講演会申し込みの際に「入会希望」と書き添えます)レセプションは有料(12000円)です。申込先 日本李登輝友の会 〒102-0075 東京都千代田区三番町7-5-104号

 また、成田空港での出迎えで、歓迎の意を表したい方もどうぞ!5月30日午後12時、第2ターミナル到着ロビーに集合です。

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