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李登輝前総統、後藤新平賞受賞

070601

 本日、6月1日午前、六本木の国際記念会館において、第一回後藤新平賞授賞式が行われました。その記念すべき第一回受賞者は、現在来日中の李登輝前総統です。

 折りよく、私が会場である会館を訪れた時、黒塗りの乗用車が滑り込み、中から李登輝前総統ご夫妻が降りてこられ、そのお姿を見えることができました。取り囲む報道陣とSPに、普段は閑静であろう会館がやにわに活気付きました。

 会場には世界各地から多数の報道陣が詰めかけ、授賞式が行われるホールの右側と後方はぐるりとカメラに取り囲まれ、参加者は応募多数で抽選になったものの、椅子120名に対し200名ほどが押し寄せ、ホールに入りきれず溢れ出す人が出るほどに盛況でした。

 また、授賞式には知名人も多数顔を見せ、台湾から同行した黄昭堂氏、台北駐日経済文化代表処代表の許世楷氏をはじめ、確認できただけでも、竹村健一氏、櫻井よし子氏、金美齢氏、中嶋峰雄氏、粕谷一希氏、岡崎久彦氏、大宅映子氏、日下公人氏、花田紀凱氏、宮崎正弘氏、塩川正十郎、住田良能氏(産経社長)、小田村四郎氏らと多くが訪れていました。

 第一回にふさわしい人物を選考する際に、満場一致で李登輝氏に決まったそうですが、その李登輝氏による受賞記念講演が「後藤新平と私」というテーマで行われました。

 「後藤新平は1857年生まれで、1929年に没し、私は1923年生まれ、時間的には交差点はなく長い隔たりがありますが、精神の空間で結ばれています。
 後藤は貧窮のどん底から立ち上がり、名古屋で医者となり、1882年岐阜で負傷した板垣退助を自ら進んで治療したという逸話が残されています。その後、復員傷兵の帰国に際しての検疫能力を高く評価され、1895年児玉源太郎の認めることとなり、医者から衛生局長に就任、また児玉の推挙によって台湾へ赴任しました。後藤新平は1898年3月から1906年9月までの8年7ヶ月を台湾民政長官として過ごし、台湾発展に寄与貢献することになりました。未開だった台湾の近代化のために彼が成し遂げた功績は大きいものです。

 当時の台湾は、匪賊が横行し治安悪く、ペスト、赤痢、チフス、マラリアが蔓延し、阿片を吸引する者も多く、不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開発で、およそ近代化には遠い状況でした。後藤はそんな台湾において、台湾近代化、台湾の開発のために、明治政府の全面的な支援の元にさまざまな改革を実行しました。」

 李登輝氏により、後藤新平の功績が紹介されました。
 第一に、人事刷新し、人材を確保したこと、(新渡戸稲造らも採用されました)第二に、匪賊対策において、単に匪賊を退治するのではなく労働を与え、彼らを生産、建設に役立てるような任務を教えたこと、第三に、「保甲制度」、つまり地方自治の確立。この制度は今でもまだ採用されているそうです。住民の自治を尊び、交通を整備し、戸籍制度の充実と整備をし、同時に自治の責任を持たせました。第四に、劣悪な衛生環境を改善し、マラリアなどの血清研究、毒蛇の一掃、同時に田舎にも医者を配置し公医制度を行ない、都市部では下水道の整備を急いだこと。第五は教育の普及。日本の植民地政策は、教育から開始されたのです。 第六に、開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し、日本内地の国会の承認を得て、土地改革を進め、縦貫鉄道を敷設、基隆港を整備したこと。第七は「三大専売法」を施行させたこと。阿片、樟脳、食塩、酒、煙草が専売となり税収が公債の返済に充てられました。第八に「台湾銀行」が創設され台湾銀行券を流通し、新たに「度量法」を統一し、それまで台南と台北で異なっていた重さや長さの図り方が統一したこと。第九は産業の奨励で、砂糖、樟脳、茶、米、阿里山森林の開発が進められ、開発を軌道に乗せました。第十は貿易の拡大です。外国資本が独占していた商船の運搬が民間にも広げられました。第十一に、後藤の「南進政策」です。アモイ、香港への投資を開始し、アモイには台湾銀行支店が設置され、アモイを台湾の「南進政策」の拠点としたことです。「もし、後藤が満州に派遣されずに台湾に残ったなら、後藤の「南進政策」はどのようになっていたでしょうか?ここにわれわれの研究課題が残されているように思われます。」李登輝前総統はこのように問いかけを投げられました。最後に、国民の生活習慣のなかで弁髪、纏足など悪習を禁止したこと、こうした功績を次々と述べられました。

 「その後における台湾開発はすべて後藤が敷いたレールの上を走り、台湾の発展はその延長の上にあると言えます。

 今年満84歳になる私は、台湾人として生まれた悲哀を持ちつつも、外国人の人には味わうことができない経験も持っております。『肯定的人生』を見出すことができたのも、22歳まで日本人だった私が受けた日本的教育のおかげでした。農業経済学者として農業農民農村問題に経験を持ち、これを基礎に経済発展に寄与することができたことを最高の喜びとしています。その後、台北市長、台湾省省長を経て、副総統、そして十二年間の総統時代には、軍事政権から一滴の血も流さないで台湾に民主化をもたらし、「静かな革命」として新しい台湾政府を樹立したことは一生の誇りであります。

 これらは後藤新平の台湾施政の基礎の上になりたっており、それにより今日の台湾の民主と繁栄が築かれてきました。世代と時間をこえて、後藤新平と私の間には精神的なつながりがあったと感じております。

 政治家には権力掌握を目的とする人間と、仕事を目的とする人間の二種類があります。権力に囚われない政治家は堕落しません。私はいつでも権力を放棄する人と自負してきました。そして後藤新平は仕事のために権力を持った人でした。

 後藤新平の持っていた信仰は何か、私にはわかりませんが、明治天皇に対する信仰、あるいは国家に対する信仰であったかもしれません。私は指導者の条件としての五項目の第一に、信仰をあげています。私はクリスチャンです。信仰とは、人格的感情のセンス、判断、感覚が大事です。後藤新平と私の根本的つながりはお互いに強い信仰を持っているということです。例え異なった信仰でもかまいません。後藤新平は、偉大な精神的導きの先生であると、私は信じています。」

 李登輝前総統による感動的は講演は、会場の盛大な拍手により締めくくられました。

 ご夫妻は、明日仙台に赴かれ、奥の細道を訪ねられるそうです。そして、7日にはまた都内で歓迎記念講演が行われますが、また参加することが出来たら、ブログ上でご紹介したいと思います。

 李登輝前総統は、一時体調不良で来日が延期されましたが、今回の講演は、力強い、はっきりとしたお声で、またお元気そうなご様子に安堵しました。良かったです!

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Tracked on June 02, 2007 12:36 AM

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